ネットビジネスに出会って

僕が生まれてから今の生き方にたどり着くまで・・・。

今の時代、インターネットさえあればスマホやパソコン1台で副業ができる時代

僕が副業に挑戦したのは2020年1月になってからで、

パソコンは愚かスマホすらまともに扱えませんでした。

僕がここまでの人生に置いて、大切だと学んだこと。

”悩んでても仕方ない!とにかく踏み込む!”

この理念です。

  • とにかく自分が変わろうとすること。
  • わからない世界でも飛び込んでみる。

そんな風に生きていたら、副業で月収80万円を安定して稼ぐ事ができ生活も楽になり、明るい未来を描くことができるようになりました。

悩むこと、考えることも大事かもしれ無いけど、結局現実を変えるには自分が踏み込むしかない。

それでは少し長くなりますけど、僕の過去話に少しお付き合いください!

青年時代~仲間とワイワイやんちゃな性格~

小さい頃は、よく釣りに出かけていました。

僕の幼少期の性格を一言でいうと、”仲間好き”。


とにかく仲間とワイワイするのが好きで、

周りに持ち上げられて学校の副会長になったことも。

とにかくその時楽しいことだけをやっていました。

そんな調子で仲間内で遊んでいたら、その延長線上で高校生になる頃には全員ヤンキーになってました。もちろん僕も含めて。

高校生の頃は、とにかく母親に迷惑ばかりかけてました。

今思うと、本当に申し訳なかったです・・・。

僕はいわゆる暴走族に入っていて、日々喧嘩、タバコとかで相当な頻度で停学を受けていました。

高校を停学になったり問題を起こすと、実は保護者が呼ばれるんですよね。その度に母親は学校に頭を下げに行ってました。

とにかく仲間と遊んで盛り上がるのが好きだった僕は、

その時、楽しい事をひたすら続けます。

しかしそんな楽しい時間もあっという間に時が経ち、

高3で進路を決める段階になりました。

僕は、就職ではなく大学進学を選ぶことに。

というのも、大学に行けばそのまま遊び続ける事ができる!

という安易な理由でした。

予備校や家庭教師をつけてもらって勉強しながら、

なんとか理系の大学に進学する事が決まりました。

ちなみに、家庭教師が来ても弟に押し付けて自分はよく遊びに出かけていました笑

大学入学後も、僕はとにかく遊び続けました。

当時楽しいと思った事をずっと。

遊び方もどんどん派手になって、キャバクラやお酒などで毎日十万以上を使うような生活をしていました。

この時期から、お金を使う感覚がおかしくなっていきます。

お金稼ぎはどうしていたかというと、キャバクラのキャッチやホスト。つまり、あまり人には言えないようなバイトをやって稼いでいました。

貴重な経験ではあったけど、人に自慢できるような過去ではないです。

そんな調子で遊び続けて単位はかなり危なかったけど、

大学4年の時になんとか取り返して大学を卒業。

友人の紹介でスーパーに就職することになりました。

とにかく今が楽しかった生活もここで終止符が打たれ、

ここから先10年以上、金銭的にも体調的にもドン底な生活が続きます。

サラリーマン時代~ひたすら耐える日常~

スーパーで働き始めてからはとにかくきつかったです。

最初は長時間立ち続ける事がきつい、朝決まった時間に起きることも辛い。

僕が最初の頃にやっていた仕事で特に嫌な思い出があります。

それが、『魚を捌く仕事』でした。

業者から仕入れた魚を捌いて、それをパックに詰める仕事をいきなりやらされたんですけど、当時の僕は生魚を食べるのが苦手。さらに匂いも苦手で・・・。

篭った空間でひたすら生魚と向き合うので、それはもう気持ち悪くて気持ち悪くて・・・。毎日吐きながら作業していました。

それと、包丁もまともに使ったことなくて毎日手を切ってました。

常にポケットに絆創膏を入れて耐えていました。

そんな日常を耐えること1ヶ月。もらえる給料は手取りで17万円。

20代の頃毎日10万円使うような生活をしていた僕は、初日で給料を使い果たしてしまうレベルでした。

かといって、現状の生活を変えるような手段も見つからない。

僕はスーパーでひたすら働き続けます。

26歳になるころ、体に異変が起きました。原因は、当時はそこまで自覚していなかったけど、精神的なダメージの積み重なりによるものでした。

具体的な原因は、おそらく店長のパワハラによるもの。

とにかく声が大きい、人使いが荒い。

当時副店長だった僕は、毎日0時くらいまで作業をさせられたり、夜中の2時に急に店に呼び出されたり(家が一番近かったので)。

そして、店長に怒鳴られて耳が痛い。頭が痛い。

とにかく、体の負担も精神的な負担も大きかったんだと思います。

そんな毎日が続いていたんですけど、ある日車を運転していたら体が急に動かなくなったんですよね。

これは流石にまずいと思って車を停めて、助手席にいた妻に運転を代わってもらい、その場はなんとかなりました。

しかし、次の日も体が動かなくなっていました。少し休んで出勤したものの、店長に対して無意識な拒否反応が起こるようになりました。

具体的には、店長に近づくと頭がクラクラしたり動悸がひどく収まらなくなったり。

そんな僕を見て、当時看護師をしていた妻が

「心療内科で診てもらったら?」

と提案してくれました。

内心すごく嫌だったけど、なんやかんやで診療してもらう流れに。

結果は、適応障害でした。

適応障害とは、特定の場面や出来事に対してのストレスで、神経が過敏になる症状です。心当たりはかなりありました・・・。

いくつか抗うつ剤系の薬を処方され(セルトラリンなど)、その後ずっと薬を服用するようになります。

その後は薬のおかげか、精神面では安定するようになりました。

僕が30歳になる頃は僕自身が店長に昇格して、当時ストレスの原因だった店長は問題ありのため左遷されました。

店長時代~借金は膨らむばかりで200万円に~

スーパーの店長になって変わったこと。それは、手取りが17万円から21万円になったこと。それと、サービス残業が何倍も増えたことです。

店長といっても雇われ店長なので、決められた固定給の中で仕事の責任が大きくなっただけでした。

仕入れしたり、売り上げを伸ばしたりするのはそんなに嫌いではなかったです。

だけど、どれだけ頑張ったところで、自分の給料はずっと変わらない。

むしろ、店長になったことで仕事量が増えて、毎日サービス残業で閉店まで作業。

仕事が嫌いなわけではないけど、このまま一生こんな生活が続くのもどうなのかなぁと感じるようになってきました。

金遣いの荒さは多少ましになったものの、月収21万円ではいつもギリギリの生活。

僕の中で、後輩に奢るのは当たり前という価値観があって、お金がないにも関わらず奢り続けていました。

そんな生活を続けてお金が足りるわけもなく、借金をするのも当然。それはどんどん膨らんでいき、200万円を超えていました。

スーパーの店長になってから数年が経ち、年齢も38歳になった頃。

収入が上がったかというと・・・。むしろ下がっていました。

入社した当初はもらえていたボーナスも、年々カットされていきほぼ無しに等しい状態に。

というのも日本の景気は年々悪化していて、

店の売り上げも赤字に転落したので当然かもしれません。

現在進行形で日本の景気は悪化し続けているので、

サラリーマンの収入は物理的にもういっきに上がることがないんですよね。

僕は38歳になってようやく、将来のことを真剣に考えました。

「このままこの生活を続けて、意味があるのだろうか」

収入は全然足りないし、このまま増える見込みもない。

借金はどう考えても返せない。

そもそも景気悪化で会社もいつまであるかわからない。

周りの友人に

も会話で、愚痴をこぼす事が多くなりました。

「自由になりたい」

みんな口を揃えてそう言うけど、次の日には普段通りの生活に戻っている。

僕は変わりたい。

少しでも良くなる場所へ踏み込みたい。

そう決意しました。

そもそも冷静になってみると、22歳でサラリーマンになってから38歳で店長になって全く稼ぎが増えていない。むしろ借金まみれ。

僕は改めて、サラリーマンで居続けることの恐ろしさを実感しました。

就職したら人生安定なんて時代は、とうに終わっていたんですよね。

決意したからには動きたい。

そう思った僕はとりあえず、”副業”というワードでYouTubeで検索してみました。

38歳から副業に挑戦

アフィリエイト?プログラミング?ブログ?FX?物販?

動画はたくさん出てくるけど、何を話しているのかさっぱり分からない。

僕はパソコンどころかスマホも苦手で(今も得意じゃないです)

「スマホ一台で簡単!」

「パソコン一台で稼げる!」

とか見ても、全くピンと来なかったです。

そんな時に僕が直感的に、「これだ!」と思ったのが物販でした。

”安く仕入れて高く売る”というシンプルな副業で、他の副業に比べたら当時の僕でも少しわかる気がしたんですよね。

それでもスマホやパソコンは使うし、右も左も分からない。

僕は自分自身のことを、新しい事がいきなりできるほど器用じゃないことを分かっていたし、何より悩む時間が勿体無い。

僕の得意なことはとにかく踏み込むこと。勢い。ノリ。

怖いものなんて何もない。悩んでても仕方がない。

僕はその動画を見た後、すぐにその動画の人に連絡取ってスクールに入ることを決意しました。

最初は本当に大変でした。本当に機械にうとくて。。

メールアドレスを作ったり、Amazonアカウントを作るのにも一苦労でした。

でも、分からないことはとにかく聞いて、少しずつ自分で出来るようになっていきました。

作業時間の確保は、きつかったけど無理やり作り出しました。

というのも、いきなりスーパーの店長を辞めるわけにも行かないし、

仕事量も手加減してくれない。

それでも睡眠時間を減らしたり(一日2時間とかに)、普段はパチンコに費やしてた休日を全て返上してひたすら物販の作業に打ち込みました。

体調はあまり良くなかったけど、精神的には少し楽でした。

「これは将来。何十年先のために必要なこと。たった1年ぼっちの辛抱じゃないか」

38歳でスーパーの店長。手取り21万円。借金200万円。

今の状態になったのは誰のせいでもなく、自分のせいで自分が過去に選んだ道。

愚痴愚痴言っても、悩んでも、何も変わらない。とにかく踏み込む!

結果。僕が初月に出した利益は12万円でした。

この12万円は、サラリーマンが貰う12万円とは違う。

自分の力で、自分の力の分だけ稼げたお金。

10年以上経っても全く上がらない普段の給料21万円より、自分の力で稼いだ12万円の方が何倍も嬉しかったです。

その後もひたすら仕入れて、売って。

パソコンやスマホの操作にも少しずつ慣れていきました。

そして外注化を取り入れて効率化。

そして稼いだお金は自分の勉強にさらに使う。

自分のスキルを上げることが、稼ぐ人間になれる近道だから。

とにかく踏み込む。

その理念を貫いていたら、

2020年5月には月収80万円になっていました。

今から始めるのはもう遅い。

なんて言葉があるけど、全然そんなことはない。

今やらなければ、明日はもっと遅い。

現在は時間のゆとりも生まれて、体調も良好になっています。

とにかく踏み込む!

副業を初めてから半年と少し、まだ将来の不安が完全になくなった訳ではないけど、1年前に比べたら未来のことを考えるのが楽しくてたまりません。

そして、勤務した会社を辞める決意をしました。

会社員の給料もはるかに超えスキルも身についたからです。

退職すると決まった時いろんな思いが込み上げてきました。

辛いことの方が多かったけど学んだことも多かった。

会社には感謝してます。

さらに、高みを目指すため収入の柱を増やしついには

株式会社を設立しました。

会社員から社長へと変化していきます。

楽なことではないけどやりがいはある。

物販は、外注化し現在は新たなビジネスに

取り組んでいます。

〜さらに僕の人生を変えたビジネス〜

それは…コンテンツビジネス。

「コンテンツビジネス」とはなんぞや?

自分自身でコンテンツを作成し販売することです。

ジャンルは問わず得意な事、好きな事を収益に変えていく。

しかも、今では自動化も取り入れて

収益が自動で発生する仕組みを作っています。

それにより、さらに時間とお金にゆとりを

持つ事ができてます。

このビジネスに出会いこれしかない!と思い

取り組んでます。

今後さらにサービスを増やしていく予定です。

会社員でいる事への不安しかいつしかなくなっていましたから。

脱サラしようと思った1番の理由は、お金と時間の自由が欲しかった。

今の時代60歳になって定年退職してもまだ働かないと生活できない。

そんなの無理だ!!と思いました。

決して体も強くないし歳をとってからのんびりと暮らしたいと思った。

このまま会社にいても給料の限界も見えてた。

これは、多くの人が思っているけど結局、決断できないし不安だから踏み込めないのだと思う。

しかし、早く行動しないと手遅れになる。

ましてやこんな時代。さらに厳しくなる事は見えてる。

僕は、とにかく今できることを全力でする。

パソコンも苦手で特別なスキルもない僕だけど、みんなに伝えられることは。

「とにかく踏み込め!」

なんでもいい。

自分の知らない世界に飛び込んで、新しい経験をして新しい自分になってくれたらなと思います。

僕のやっているビジネスに関しては今後の記事で紹介していきます。